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大学4年間の締め括りとなる卒業旅行。

舞台は中東ヨルダン。

その旅は、予想をはるかに超える冒険が詰まっていた。

誰も想像できない旅が今、ここに始まる・・・



ヨルダン旅行記がついに始動!(おそらくほとんど誰の役にも立たない)ヨルダン観光情報や、旅行のポイントをまじえた(なぜか時折韓国語が出てくる)スペクタクル旅行記(になる予定)!!

第1話「波乱の始まり」

3月13日夜、私は家で夕ご飯を済ませ、名鉄でセントレアへと向かった。駅でチングと合流し、旅への期待の高まりを共有していた。セントレアに着きエティハド航空のカウンターでチェックインし、あとは出発を待つだけとなった。驚いたことに、空港で同じ学科の子3人と遭遇した。ものすごい偶然である。彼女たちはグアムに行くそうだった。

長い待ち時間が過ぎ、9時半ごろ飛行機に乗った。いよいよ出発だ!
早速機内食が出てきた。
機内食

私は「アラカルト」をチョイスした。なかなかおいしかったと思う。このとき私は調子に乗って白ワインをオーダーした。そんなにお酒飲めないくせにわざわざ頼んだのは、タダだからだ。案の定飲みにくい。私はひらめき、スプライトを頼んで混ぜることでスパークリングワインをつくったところ、とても飲みやすくおいしかった。オススメ。その後マンゴージュースとスプライトもチングの提案で混ぜたところ、これも美味だった。皆さんもぜひ飛行機に乗ったら試してみてほしい。
ちなみにエティハド航空ではアメニティとして歯ブラシと靴下とアイマスクと耳栓をくれた。シンガポール航空は歯ブラシと靴下だけだったので、これは親切。でも歯ブラシは後で使ってみたところ磨くたびに毛が抜けたので使わないほうが良し。アイマスクは便利だったが、いつものごとく私は行きの飛行機でほとんど眠れなかった・・・。

そうこうしているうちに飛行機は北京に着いた。北京では飛行機を降りずに待つだけだ。しかしこの時から波乱は始まっていたのだ。チングの一人が、ひどく体調を崩したのだ。彼女は空いていた座席に横になっていたが、快方に向かっていなかった。さっきまで元気だったのに・・・私は動揺していた。こんな事態は生まれて初めてだった。ヨルダンまで行けるのだろうか?

名古屋を出発してから約14時間後、乗り継ぎのアブダビに到着した。アブダビの空港のスタッフが待ち構えてくれたらしく、彼女を車椅子で医務室まで運んでくれた。私はこの時初めて空港の医務室という所に入った。会話は全て英語である。チングはツライながらも自分の症状を英語でしゃべっていた。すげえ・・・その結果OKが出たのでアブダビからアンマンへ行く飛行機に急いで乗ることにした。車椅子だったのでエレベーターを利用したのだが、ボタンがきかない!大きい空港でこれはヒドイ。せっかくエレベーターが来ても、開いたままにできないので閉まっちゃう。いい加減直しとけよと言いたかった。

搭乗手続きは、列を無視して通してくれた。まるで救急車である。やっと飛行機に座席に着いた。しかしここで恐れていた事態が起こった。チングが飛行機を降りることに決めたのである。つまり私たち3人は、チングを1人アブダビに残してアンマンへと旅立ったのである。

最後の旅行で、まさかこんなことがあるなんて・・・
1人アブダビに残って大丈夫だろうか?まさか日本に帰っちゃうなんてことないよね?絶対ヨルダンに来れるよね??

私たち3人は漠然とした不安をかかえつつ、彼女の無事を祈り、アンマンへ向かった・・・。

衝撃的な幕開けとなった卒業旅行。はたしてチングはヨルダンに来れるのか?以降、第2話に続く!
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